「秋葉神社」参詣前の一服には最適!秋葉神社の門前周辺には、食事処は一切ないので、この「花桃の里」で一服して、くねくね山道になる参道へ。サイクリストもバイクライダーもドライバーも多く訪れます。
また、くんま水車の里方面にバイクでツーリングで訪れた方も秋葉神社方面へ抜け、その後、花桃の里へ休憩がてらに寄ってみえます。天竜全体をご満喫いただく最中、満喫していただいた後、お食事・ご休憩に是非花桃の里をご利用ください!!
【ロケーション】
浜松市天竜区の中心街である二俣地区から、国道152号を北上すると、市街地の北にある山東交差点で道は二手に分かれます。左に進めば国道152号、右に進めば国道362号。実は、これらの道は「秋葉街道」とも言って、左の国道152号を使って天竜川沿いを北上すれば秋葉神社上社へ通じ、右の国道362号を使って二俣川沿いを北上すれば秋葉神社下社へ通じるという信仰の道なのです。
秋葉神社の上社・下社を含む一帯は天竜奥三河国定公園に指定され、上社が鎮座する秋葉山山頂付近は樹齢数百年といわれる老杉に覆われ、自然の豊かさでも知られています。山頂からの展望は東海一ともいわれ、浜松市の中心市街、天竜川や浜名湖、そしてはるか太平洋(遠州灘)まで望むことができます。
【施設紹介】
秋葉山本宮秋葉神社は、全国に800社あるという秋葉神社の起源となった神社です。もともとは山岳信仰の霊山だった秋葉山(標高866m)。そこに修験道や仏教が入りこみ、秋葉権現を祀る秋葉権現社(あきはごんげんのやしろ)と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺(しゅうようじ)とが同じ境内に収まるようになり、神仏混淆の山岳社寺として栄えました。
秋葉神社への信仰は、江戸時代中期以降、爆発的なブームとなって全国に広がります。火防(火伏=ひぶせ)の秋葉講という参詣団体は、全国で総数3万余を数え、信者数は数百万人に及んだといわれています。お伊勢参りや四国巡礼などを目的とした「物見遊山の旅」が庶民の娯楽として大流行し、そのコースのひとつに秋葉詣でも含まれていました。
国道362号が気田川(けたがわ)と接する地点に秋葉神社下社が鎮座し、そこから秋葉山山頂へ向かって標高差750mほどの表参道がつづいています。自動車やバイクは通行できませんが、人が歩く参道はよく整備され、軽登山のコースとしても知られています。国道152号から入る秋葉神社上社には、舗装された参道が開通していますので、観光バスでも登ることができます。新緑の時期、紅葉の時期ともに大勢の参詣客でにぎわいます。
【ロケーション】
穏やかな山並みに囲まれ、清流阿多古川のほとりに建つ心和む道の駅です。浜松市天竜区と愛知県北設楽郡東栄町とをつなぐ主要地方道天竜東栄線(県道9号)沿いにあり、この快走路を使ってドライブ、バイクツーリング、渓流釣りなどを楽しむ人たちで賑わっています。
【施設紹介】
食事処「かあさんの店」、物産館「ぶらっと」、体験工房「水車の里」がメイン施設。食事処「かあさんの店」では朗らかなおかあさんたち手づくりのそばや天ぷらを愉しめます。物産館「ぶらっと」では、地元の人たち手づくりの食品はもとより、地場産の干し椎茸、舞茸、天竜茶、木工品などを販売しています。体験工房「水車の里」では、そば打ち、五平餅、こんにゃくの手づくり体験も。すぐ下を流れる阿多古川におりて水辺を散策するのも気持ちがいいですね。
【ロケーションと施設紹介】
道の駅天竜相津花桃の里、天竜相津マリーナとお休み処や遊興施設が集まる一角に、鉄道トンネルを利用したワインセラー(ワイン保存倉庫)があることをご存知でしょうか?
工事途中で廃止となった旧国鉄佐久間線跡のトンネルを活かして、ここにワインセラーが設けられたのです。一度も鉄道として使われたことがないトンネルは、道の駅天竜相津花桃の里のすぐ裏手の山に入り口があり、奥行き1170mというトンネル内の両側には、全国各地のワイン・ファンから預かったワインボトルが無数に並んでいます。
1年を通じて入り口付近から最奥部までの温度は15~17℃と一定しており、湿度も70~80%に保たれるという国内最高水準のワイン貯蔵環境を誇ります。ワインの故郷フランス・ボルドーのオーナーであるジャン・フィリップ・マルシャン氏も、このトンネルの環境はヨーロッパのワインセラーと同じ条件だ…と太鼓判を捺しています。電気で冷やす必要がありませんから、もしもの電源喪失時にも心配が要らず、地域の自然環境へ負荷をかけないエコロジー・ワインセラー。ワイン用ラックには、地元の天然杉材を手づくり加工したものを使い、すべてが天然の条件に寄り添って運営されています。
【ロケーション】
天竜ボート場がある船明(ふなぎら)ダム湖は、湛水面積1.87平方kmの巨大な湖で、ボートやカヌーなど水上スポーツが盛んなことで全国に知られています。例年3月、「ボートの甲子園」といわれる全国高校選抜ボート大会が開催される天竜ボート場は、国からも「ボートの聖地」に指定され、多くの漕艇ファンや選手たちの憧れの的になってきました。
競技用2,000メートル・6コースが取れる日本でも屈指のボート場です。湛水面積1.87平方㎞の広さ(187ha)とは、甲子園球場のグラウンドが144面も入る広さです。水面がおだやかで直線コースが2,000メートル・6コースもとれる湖は国内でも珍しく、漕艇競技のみならずボートやカヌーの練習にとっても好条件です。夢の架け橋のたもとの天竜川右岸には、伊砂(いすか)ボートパークもあります。
【施設紹介】
周辺施設としては、天竜ボート場月艇庫に隣接して、宿泊棟、食堂棟、体育館などを管理する天竜自然体験センター「湖畔の家」があります。1991(平成3)年の高校総体で船明ダム湖がボート会場に決定し、前年の平成2年に行なわれるプレ大会に間に合わせて建設されたものです。施設は、浜松市指定管理者の株式会社杉の里が運営しています。
「湖畔の家」は、地元の小中学校の林間学校やクラブ活動での合宿、企業の研修などに利用されています。ボートの聖地ということもあり、ボート体験を普及させる教育施設としての活用が期待されています。アテネ五輪(2004年)に漕艇競技選手として出場した内山佳保里さんは、二俣高校時代からボート競技を始め、この天竜ボート場から巣立った偉大な選手です。旧天竜市(現浜松市天竜区)出身者として初めてオリンピック選手に選ばれた人としても注目を浴び、天竜ボート場月艇庫正面には、アテネ五輪ボート出場を記念するプレートが設置されています。プレートには「このボート場でボートと出会って、努力と鍛錬により2004年アテネオリンピック出場の栄冠を勝ち取った功績をたたえる」と記されています。
【ロケーションと施設紹介】
船明ダム湖へ口を開く天竜相津マリーナは、ボートやカヌーなどを楽しめる天竜の川遊びの拠点です。清流沿いにはバーベキュー場も設けられ、アユのつかみ捕りも。屋形船を2艘スタンバイしていますから、花桃や桜のお花見シーズン、秋の紅葉シーズンには船明ダム湖へ繰り出して、仲間とともに湖上宴会で盛り上がりましょう。
ここは別名「はままつ・ふなぎら湖海の駅」という名前ももっています。海に直接つながるわけではない場所に「海の駅」とは不思議ですが、実は2010(平成22)年、日本で初めて内水面の川に誕生した「海の駅」なのです。日本に140以上ある海の駅のひとつに指定され、水に親しめるステーションとして活動しています。
【ロケーション】
浜松市天竜区二俣の清瀧寺の門前にあり、旧二俣町役場庁舎を利用して運営されています。戦国時代、徳川家康の長男・信康は不当な嫌疑をかけられ、織田信長から切腹を要求されます。織田方の支配下にあった家康は、涙をのんで信康に切腹を命じ、二俣城で自害した信康の霊を弔う廟所として清瀧寺を建立しました。本田宗一郎ものづくり伝承館の周辺には、清瀧寺のほか、復元された二俣城の井戸跡、信康堂、清瀧の滝、瀧不動尊、諏訪神社などがあり、非情な歴史を今に伝える鎮魂の場所ともなっています。
【施設紹介】
本田宗一郎は、HONDAブランドで世界に知られる本田技研工業の創立者であり、日本のモータースポーツ技術を世界トップクラスに引き上げた功労者です。かれの生い立ちから成功までの道のりを「ものづくり」の視点から展示するのが、この施設です。登録有形文化財にも登録されている旧二俣町役場庁舎だった建物を耐震改装して、2010(平成22)年に開館されました。
1906(明治39)年、静岡県磐田郡光明村(現在の浜松市天竜区)で鍛冶屋の長男として生まれた宗一郎は、8歳のときに初めて見た自動車に感銘を受け、技術者を志しました。小学校時代は、早弁をしたいがために、清瀧寺の鐘を勝手に撞いて正午にしてしまった、などのエピソードも紹介され、当時のやんちゃぶりがうかがえます。卒業後は、東京の自動車修理工場に就職し、6年間の修行の後、浜松に自分の自動車修理工場を設立します。他の修理工場では直せなかった車も次々と修理してしまう宗一郎の高い技術が評判になり、事業を順調に拡大していきます。「確かな技術は製品を裏切らない」。小さな町工場から始まった本田宗一郎のドリーム物語の核心をじっくりと見学できます。初期のバイクなども必見です。
【ロケーション】
二俣町を見下ろす、緑に囲まれた丘の上に建つ秋野不矩美術館。建物は2階建てで、地元の自然素材をふんだんに取り入れた印象的な造形です。丘の上からは、秋野不矩も通っていた高等女学校の校地(旧二俣高校)や街並みを展望することができます。
【施設紹介】
秋野不矩は、1908(明治41)年、現在の浜松市天竜区二俣町に生まれ、戦前戦後を通じて芸術表現の革新につとめた日本画家です。戦後間もないころ、仲間とともに創造美術(現在の創画会)を立ち上げ、日本画の伝統や定型にとらわれない自由な表現による斬新な絵画世界を切り拓いていきました。
50歳を超えてからインドと運命的に出会い、インドの風土を日本画の技法で表現する創作をつうじて、古代的なエネルギーを宿す原風景に不思議なみやびさを帯びる作品を数多く発表し、しだいに抽象表現へと移っていきました。
こうした東洋の融合を直感で肉体化することができた秋野不矩の精神の奥深さや、創造の道のりをじっくりと鑑賞できる美術館が、1998(平成10)年4月に開館しました。翌1999(平成11)年、秋野不矩は文化勲章を受章しています。
天竜が生んだ日本画の巨匠にふさわしく、土壁をベースとして地元の銘木・天竜杉を組み合わせた美術館の造形は自由奔放でありながら、大地に根ざして暮らしてきた人間の精神的な営為をつよく感じさせます。外観の奇抜さとは裏腹に館内は心落ち着く空間になっていますが、この建築を手がけたのは現代建築の巨匠・藤森照信です。
ふたりの巨匠の豊かな感性が融けあう空間で、じっくりと日本画の名品のかずかずを味わえる至福は、他にはない当館だけがもつ大きな魅力です。
【ロケーション】
浜松市天竜区の中心街である二俣地区にあり、掛川駅と新所原駅の間67.7㎞を結ぶ天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線(略称:天浜線)の拠点駅となっています。天浜線を運営する天竜浜名湖鉄道株式会社の本社もここに所在します。駅の東側では、旧式の転車台が現役で使われていますし、駅舎そのものも戦前に開業した当時の姿を保っています。駅前には機関車公園があり、蒸気機関車C58形が静態保存されているなど、多くの鉄道ファンのみならず昔懐かしい鉄道の魅力に惹かれる人びとからも絶賛を浴びるエリアとなっています。
【施設紹介】
1940(昭和15)年に国有鉄道二俣線の遠江二俣駅として開業し、当時はそばを流れる天竜川を下ってきた材木を引き上げて積みだす貨物用の引き込み線ももっていました。1987(昭和62)年に二俣線が第三セクター鉄道(天竜浜名湖鉄道)の駅となり、天竜二俣駅に改称されました。駅の東側にある車両基地(機関区)には、全車両がディーゼルカーとなった現在でも、蒸気機関車時代の扇形庫と転車台がそのまま使われています。これらの施設や駅舎、ホームなどが国の登録有形文化財になっていますが、天浜線沿線全域では、36か所もの登録有形文化財を有しています。天浜線そのものが鉄道の歴史を今に伝える貴重な現役文化財と言えるでしょう。
車に乗って天竜区中心街の二俣地区を抜け、国道152号で船明ダム湖に沿って北上すると、ほどなくして船明トンネルが見えてきます。その直前で左前方へ進む分岐路がありますから、そちらに車を入れてみます。これが県道360号渡ヶ島横山線ですが、そのまま進めば月に行けます。それもたった3㎞で…。
民放テレビ番組で「月まで3km」の道路案内標識がスゴイ!と大評判になり、わざわざこの標識を撮影にくる人たちも現れました。「天竜区月」という地区を経由して、天竜区横山町に至りますが、途中の月には「ボートの聖地」と呼ばれる日本有数のボート場があり、全国の漕艇ファンや選手たちの間で知らない人はおりません。月では、シャトルの代わりに細長い船艇がダム湖の上を行ったり来たりしています。月世界旅行はできませんが、湖上遊覧ならぜひどうぞ。
「月」という同じ珍地名は、お隣の愛知県北設楽郡東栄町にも存在しますから、何かご縁があるのでしょうか?不思議な地名トリビアでした。
天竜区二俣地区から県道9号を愛知県に向かって北上します。その途中、風光明媚な「道の駅くんま水車の里」で休憩するというのがツーリングやドライブのお約束ですが、おいしい五平餅など食べながら、「くんま」の名称は何だろうと、ふと疑問に思う方が多いようなのです。実は、このエリアの住所地名は公式には「熊(くま)」と読まれているのですが、地元で呼ばれている「くんま」という表現を親しさをこめて使っています。天竜区内には、こうした不思議な読み方をする地名や変わった地名が山のようにあります。
水窪(みさくぼ)/船明(ふなぎら)/米沢(みなざわ)/伊砂(いすか)/日明(ひあり)/筏戸大上(いかんどおおかみ)/向皆外(むかがいと)/白神(しらなみ)/木葉島(きのこじま)/生島(おくしま)/下里(くだり)/大里(だいり)/中部(なかっぺ=現在は「なかべ」)/切開(きいなま)/両久頭(もろくず)/難場道(なんばんど)/巻頭(まきほつ)/大嵐(おおぞれ)……。読み仮名を隠して漢字だけを見せられても、なかなか読めませんね。もともとの発音に漢字をあてて地名表現にしたものが、どうも読み解けないという場合はよく見かけますが、「みなざわ」だったら、せめて「御名沢」「皆沢」くらいにしておいて欲しいと思うのですが、さすがに「米沢」を「みなざわ」とは読めません。「よねざわ」「こめさわ」くらいしか思いつかないでしょう。大仏様の頭髪のちぢれは螺髪(らほつ)といいますから、巻頭(まきほつ)などは仏教と関係があるのでしょうか。
よりによって、どうしてこんな難読地名が天竜区には多いのでしょうか。不思議ですね。
バードウォッチャーにも大変珍しい鳥としてしられる三光鳥(さんこうちょう)。なんと、花桃の里にくればその三光鳥に遭遇できるチャンスが!?…とにわかに噂となっています。花桃の里の隣にある天竜相津マリーナのバーベキュー場の少し奥の山の中で5月〜6月に確かにそのさえずりが聞こえてくるのです。
三光鳥の鳴き声は「ひー、つき、ほし、ほいほいほい」。「ひー」=日、「つき」=月、「ほし」=星。つまり、3つの光なので三光鳥と名付けられたと言われています。そんな名前も鳴き声も美しい、貴重な鳥「三光鳥」に、花桃の里へくれば遭遇できるかもしれません!野鳥ファンも遭遇チャンスを待ちわびて、シーズン中には何人もこの地を訪れます。もちろん、運良く三光鳥の鳴き声だけでなく姿を見たバードウォッチャーも数多くいます!
また、大輪橋付近(花桃の里よりさらに北の、龍山村と佐久間町の間に位置する)には同シーズン(5〜6月)にブッポウソウが営巣するので、天竜区はバードウォッチャーには穴場めぐりとしてもおすすめです。
是非、運試しも兼ねておこしください!!
「佐久間線」という鉄路をご存知でしょうか。天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅からJR飯田線の中部天竜駅までの約35km(橋梁20か所・トンネル14か所)を結ぶ予定だった鉄道路線のことです。1967(昭和42)年に建設が始まったのですが、1980(昭和55)年、およそ13kmの区間で工事が進められ、路盤も半分まで完成したところで、国鉄再建法によって工事そのものが中止されました。
現在でも、天竜二俣駅~天竜区横山地区の間には、築堤・トンネル・橋梁などが所どころ残っており、この中止路線の跡をたどるマニアックな人たちが訪れています。
とりわけ明瞭なところは、国道152号の沿道にある「道の駅 天竜相津花桃の里」界隈の鉄道路線建設跡です。道の駅の目の前は船明ダム湖なのですが、そこに架かる「夢の架け橋」が、佐久間線の橋脚をそのまま利用して造られているのです。また、道の駅のすぐ裏手の山には、奥行き1170mにも及ぶ相津トンネルが完全な姿で残され、現在、そのトンネル内が浜松ワインセラーのワイン貯蔵施設に活用されています。
使われてきた鉄道路線が役割を終えて廃止され、時間経過とともにしだいに朽ちていくと、鉄道ファンのセンチメンタルな関心を惹くようです。しかし、工事中止路線には、人と列車とが積み上げてきた運行の歴史というものがありませんから、列車が走っていた懐かしい風景や思い出を再現することはできません。それなのに、なぜか悲劇的なドラマ性があって、人間くさく、ちょっぴり切ない…。工事中止路線も、どうやら人の想像力を刺激する魅力があるようですが、そのまま放置して叙情的な枯れ具合を味わうよりも、観光や産業に有効活用して、本来の役割とは違う別の人生(?)を歩ませてあげることで、不思議な価値が生まれるのではないでしょうか。